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東京高等裁判所 昭和50年(ラ)26号 決定 1977年12月14日

抗告人 早野久雄 ほか一三二名

相手方 新東京国際空港公団 ほか一名

訴訟代理人 渡邊剛男 鎌田泰輝 脇征男 桜井卓哉 ほか三名

主文

抗告人久蔵はん、同稲吉愛、同稲吉かつ、同稲吉英雄、同稲吉あや子、同植草恵子、同真野タマヨ、同朝野健児、同京須利依子の本件各抗告を却下する。

右抗告人らを除くその余の抗告人らの本件各抗告をいずれも棄却する。

抗告費用は抗告人らの負担とする。

事実

抗告人ら代理人は、「原決定を取り消す。相手方は別紙各図面表示の斜線部分の土壌を撤去しなければならない。相手方が右土壌を撤去しないときは抗告人らが相手方の費用で撤去することができる。」との裁判を求める旨申立て、相手方は抗告棄却の裁判を求めた。

(抗告人らの主張)

一  抗告人らは、いずれも肩書地において生活を営んでいるものであり、相手方は「新東京国際空港の設置及び管理」等を目的とする法人である。

二  相手方は、千葉県成田市土屋のジエツト燃料基地から建設中の新東京国際空港航空機給油施設までの約七・二キロメートルにつき、昭和四八年一〇月から暫定パイプラインの埋設工事に着手した。

右工事にあたり、相手方は、<1>根木名川、<2>国道五一号線、<3>同二九五号線、<4>県道小見川線、<5>公団資材輸送道路、<6>東関東自動車道について、それぞれこれらを横断してパイプラインを埋設させるために、一〇メートル以上の深さにおいて地中をくぐり抜ける推進工法を施行している。

(一)  土壌凝固剤の注入

右埋設地点を含む地帯は、成田市の飲料用水源地帯であつて、きわめて出水し易く、地盤は軟弱であるところから、相手方は昭和四九年二月ころから同年四月二五日までの間に、尿素系および水ガラス系の土壌凝固剤を別紙図面一の(一)記載の箇所に少なくとも総計二、六六九、五一〇リツトル注入した。すなわち、尿素系土壌凝固剤のうち、スミロツク、ユリロツクなる各商品名をもつ薬剤については、それぞれ三六七、六三〇リツトル、七二三、〇〇〇リツトルを注入し、水ガラス系土壌凝固剤のうち、CCP、LW、ケミ3号なる各商品名をもつ薬剤については、それぞれ一二六、八〇〇リツトル、一、〇四一、九八〇リツトル、四一〇、一〇〇リツトルを注入した(なお右注入量は相手方の発表した資料に基づく数量である。)。

(二)  薬液の危険性

相手方が注入した尿素系および水ガラス系土壌凝固剤は、いずれもホルマリン、尿素等を含有する有毒な薬液である。

ホルマリン(ホルムアルデヒドの水溶液)は、これを摂取した場合、強烈な腹痛、血尿、蛋白尿、尿管の閉鎖、めまい、さらには意識不明の状況を人体にひき起こし、急性の局所毒性についても危険性が指摘されている。

後遺症および微小量を断続的に摂取した場合については、実験例もなく、その安全性が保証されていない。巷間にいわれるアクリルアミドよりホルマリンは毒性が強く、このアクリルアミド系ですら福岡県粕屋郡新宮町では、飲用開始後およそ一か月で神経系統の傷害をうけた重病者二名を発生させている。

ホルムアルデヒドによる慢性中毒は、ホルムアルデヒドが少なくとも人体内を通過することにより、残留効果(微細な健康被害)が蓄積されて視野狭窄(両眼性)、暗順応障害等の症状を呈することが、ユリア樹脂から溶出するホルムアルデヒドによる慢性毒性実験によつて明らかとされている。

尿素は、微生物により分解されてアンモニア、亜硝酸および硝酸となり、これが摂取された場合それぞれの中毒症状をひき起こすこととなる。これらの中毒は、青酸中毒や一酸化炭素中毒と同様、血液中の酸素の量に影響し極めて危険である。

また水ガラス系土壌凝固剤の主成分であるケイ酸ソーダも人体に有害であることは、ケイ酸ソーダの食品添加物としての使用が禁じられていることからも明らかである。

なお、ホルマリンにしても、尿素にしても、水道法で定められた水質基準にその規定がないのは、本来飲料水に入るはずのないもの、入つてはならないのとされているからである。

(三)  地下水の汚染

土壌凝固剤は、その目的からして、地下水により、土壌が土木工事上不安定な場所で用いられているものであり、したがつて、常に地下水流にさらされた形で使用されることとなる。

土壌凝固剤が危険な成分を含んでいても、従来の学説で安全であるといわれたのは、それらが土壌に作用した後、土壌とともに完全な凝固物となり、危険な成分を周囲に放出しないとされたためである。しかし、広島県三次市とか福岡県新宮町での最近の事故は、土壌凝固剤が周囲の地下水に危険な成分を放出することを明らかに示している。この原因は、土壌凝固剤が土壌に注入されたとき、凝固する以前にその成分の一部が流出したことによるものであり、その他凝固剤が完全反応せず、また現実的な混合比の関係から未反応の成分が残留し、それらが流出したことによるものである。さらに、凝固した凝固剤自体が、環境条件の変化とともに経年変化して再溶出し、流出する可能性は否定できないところである。

建設省は、土壌凝固剤による地下水汚染による人身事故の可能性に鑑み、昭和四九年五月二日事務次官通達を持つて、かような土壌凝固剤による薬液注入工法の全面的な中止を全国の関係者に通知した。

(四)  飲料用地下水源の汚染

相手方は、地元住民がその生活体験から指摘してきた危険性に耳をかさず、「暫定」パイプラインを成田市寺田台地先の根木名川周辺の軟弱地盤地帯に埋設しようとして地下掘削中に地下水脈に遭遇した。そして、相手方はかような事態に対処するため、地元民に何らの説明、相談もなく、また、周辺地下水系に対する事前調査等所定の手続(高分子注入剤メーカー会が昭和四八年六月一三日に作成した「薬液取扱上の注意」参照。)もとらず、薬液注入工法を採用し、危険な薬液を地下水系の存在する土壌に注入したものである。

根木名川周辺地域が、土木工事の困難な軟弱地盤地帯であり、浅井戸によつて民家の飲料水が確保されている地域であつて、また、成田市営水道の地下水源(地下水盆)の真上にあるということは、つとに知られていたことである。このような場所で土壌凝固剤を使用すれば、例えば尿素系の場合、尿素、ホルマリン、硫酸等が周囲の地下水に放出されることは明らかである。

このような地下水の汚染は、まず浅層地下水(周辺地域の浅井戸用水源)の汚染にはじまり、漸次深層地下水の汚染へと進み、行きつくところ、成田市営水道の地下水源汚染に至ることは否定することができないところである。

(五)  成田市の地下水源の非代替性

建設省が昭和四八年八月二七日に発表した「広域利水調査第二次報告書」によれば、昭和六〇年における南関東地域の水需要の予測では、利根川の河川開発が当初の計画どおり進んだとして、三〇パーセントの供給不足が見込まれている。しかも利根川の河川開発も上流でのダム建設の困難さから計画どおり進展しないことが予想されている。

一方、水不足の南関東に位置する千葉県は、独自に水需給計画をたてているが、基本的には利根川に依存せざるを得ないのであるから、昭和五〇年代における漫性的な水不足を自ら解決することは不可能であろう。従つて、表流水によるものであれ、地下水によるものであれ、既存の水源を、質的および量的に確保することは、県民に対して上水道の管理責任を負つている千葉県にとつて至上の命令である。

したがつて、成田市の地下水源には代替性がなく、抗告人ら成田市住民の飲料、生活用水源は、地下水をもつて充てるほかはないのであつて、土壌凝固剤による地下水の汚染およびこれによる被害の発生防止が焦眉の急を要する事柄であるが、地下水の質的および量的な保全について全体的な責任を負う所管行政機関は国に設置されておらず、資料も整備されていない状況で、「建築物用地下水の採取の制限に関する法律」、「工業用水法」等は地盤沈下対策を目的とするものであつて、地下水の汚染防止は、目下のところ、成田市民が自らの責任でなさなければならないものである。

三  人は水無しでは生存することができないもので、水こそは生命の源であり、生存の最低条件であるところ、抗告人らは、相手方の使用した土壌凝固剤によつて流出するホルマリン等の有毒物で汚染された地下水源のみを飲料水源としているものである。

個人の生命、自由、その他人間として生活するうえでの利益に対するいわれのない侵害行為は許されず、かかる個人の利益はそれ自体法的保護に値するものである(これを財産権と対比して人格権とよぶ。)。しかして、右侵害行為が継続的かつ反覆的に行われている場合に、これが救済の手段として単に不法行為による損害賠償請求をするほかないとすれば、被害者の保護に欠けることはいうまでもないから、損害を生じさせている侵害行為そのものを排除することを求める差止請求が認められなければならない。

相手方のなした薬液注入工法によりホルマリン、尿素等有毒物を流出させ飲料用地下水源を汚染する行為は、まさに右の場合に該当し、行為の差止請求が認められるべきである。

とりわけ、本件においては、相手方が既になした工法により汚染された土壌を撤去しなければ、抗告人らは、土壌凝固剤から日々流出する有毒物による健康被害からのがれるすべがなく、生命、身体に回復し難い損害を蒙ることになるのであるから、これを防止するため、相手方が薬液注入工法を施した地域における土壌そのものの撤去を求めることができるものである。

しかるに原決定は、抗告人らの仮処分申請を却下したので、原決定を取り消したうえ、相手方に対し別紙各図面表示の斜線部分の土壌の撤去を命ずる旨の仮処分を求める。

(相手方の答弁ならびに主張)

一  抗告人ら主張一の事実中、相手方が新東京国際空港の設置及び管理等を目的とする法人であることは認める。

同二の冒頭の事実は認めるが、推進工法にかかる本件工事の深度は、すべてが一〇メートル以上であるということはなく、場所によつてその深さは異るものである。

同二の(一)の事実中、暫定パイプライン埋設地点を含む地帯が、成田市の飲料用水源地帯であることは知らないがその余の事実は認める。

同二の(二)の事実中、ホルマリンを大量に摂取した場合に、強濃度であれば急性の局所毒性があることは認める。ホルマリン摂取の場合の後遺症については知らない。ホルマリンの摂取が微少量であれば、これを継続的に摂取しても有害ではなく、例えば野菜(しいたけ、きうり、ねぎその他)中にもホルマリンが含まれており、特にしいたけには二〇〇ないし四〇〇PPMも含まれているが一般に食用に供されており、飲料水の場合でも微少量(四PPM程度)であれば障害がないものとされている。ホルマリンがアクリルアミドより毒性がつよいとの主張は否認する、福岡県粕屋郡新宮町における事故は、後記主張のように施工方法の誤りによつて生じた特殊な場合であつて、土壌凝固剤そのものの危険性を示すものではない。

尿素は、地表のように酸素が十分存在する場所では微生物によつて分解され、アンモニア、亜硝酸イオン及び硝酸イオンとなる場合があり、これらが大量に摂取された場合には中毒症状をひき起こすことがあるとしても、薬注工法に使用された薬液が分解された結果、これらの物質が生じたとしても、中毒症状をひき起こすほど多量かつ集中的に生ずるとは考えられない。

ちなみに、尿素は大量に肥料として用いられている(我国の昭和四七肥料年度において七六万六千トンが使用されている。)が、この場合にも亜硝酸イオン及び硝酸イオンが当然に発生することになるが被害の生じた例がなく、このことは、これらが微少量であれば無害であることを物語るものであり、また、それぞれ亜硝酸ナトリウム、硝酸カリウム、硝酸ナトリウムとして食品に添加することすら認められている(食品衛生法六条、同法施行規則別表第二・二ならびに七九、八〇参照)。

なお、アンモニア等の大量摂取に基づく中毒を、青酸中毒や、一酸化炭素中毒と比較することは適切でない。

ホルマりン及び尿素について、水道法で定められる水質基準に規定のない事実は認める。

同二の(三)の事実中、土壌凝固剤が土壌の軟弱なところで用いられるものであることは認めるが、つねに地下水流にさらされた形で使用されることは否認する。

土壌凝固剤は、危険な成分を含んでいても、それらが土壌とともに完全な凝固物となつてその危険な成分を周囲に放出しないから安全であるというのが学説上の定説であることは認める。

広島県三次市、福岡県新宮町における事故に際し、周囲の地下水に凝固前の成分が放出されたことは認める(ただし、これらはいずれも後に述べるように施工方法上の誤り等に起因するものである。)が、凝固した薬液自体が環境条件の変化とともに変化して流出する可能性のあることは否認する。

建設省が、抗告人ら主張のような事務次官通達をもつて、所管関係機関及び建設省所管の関係者に薬注工法の一時中止及びその再開等に関し通知したことはあるが、右通知が薬注工法の全面的な中止を求めるものであることは否認する。

同二の(四)の事実中、相手方が暫定パイプラインの埋設に際し、パイプラインの危険性を顧慮しなかつたという主張は否認する。

根木名川周辺の工区(別紙図面二中<1>と表示の部分)において地下掘削中、竪坑に地下水が湧出したことはあるが、右地下水の湧出が地下水脈に遭遇したことによるものであるかどうかは明らかでない。

相手方は、暫定パイプラインの着工にあたり、関係市民に対する説明会を開催し、その際、根木名川横断に当つては推進工法による横断工事を行う旨説明したが、特に薬注工法の具体的説明はしなかつた。しかし、相手方は、薬注工法による工事着手にあたり、工区周辺のボーリングによる地質及び地下水位の調査を行い、かつ抗告人らの主張する高分子注入剤メーカー会作成の「薬液取扱い上の注意」に従つて同工法を施工させたものである。

根木名川周辺地域の一部が軟弱地盤地帯であること及び同地域の住民のうちには浅井戸から飲料水を確保しているものがあることは認めるが、同地域が成田市営水道の地下水源の真上にあることは知らない。

同二の(五)の事実中、抗告人ら主張の資料によれば、抗告人ら主張のような予測が記載されている事実は認めるが、成田市の地下水源に代替性のないことは知らない。

同三の主張は争う。相手方は、その施工にかかる薬液注入工法においては、後記のとおり、過去、現在にわたり地下水に有毒な影響を与えたことなく、また将来においてもそのような虞れはないものであるから、抗告人ら主張のような差止請求権や土壌撤去請求権は発生しない。

二  相手方の主張

(一)  暫定パイプラインエ事の概要

1 工事計画

相手方は、新東京国際空港に発着する航空機に航空燃料を円滑に供給するため、昭和四六年一二月以降、千葉港から新空港に至る延長約四四キロメートルにわたり、航空燃料輸送用のパイプラインを建設中のところ、諸般の事情により、この完成までに相当長期の日時を要することが予想されるに至つた。このため、右パイプラインに代わる暫定輸送対策として、航空燃料を、鹿島地区および京葉地区から成田市土屋までは鉄道によつて、土屋から成田市吉倉まで約二・九キロメートルの間は新たに埋設するパイプラインによつて、成田市吉倉から空港までの約四・九キロメートルの間は既埋設のパイプラインによつて輸送することとした(したがつていわゆる暫定パイプラインの合計延長は約七・八キロメートルである。)。

2 パイプラインルート

相手方は、関係機関と協議のうえ、暫定パイプラインの敷設に際しては、できる限り道路等の公共用地を利用することとし、かつ、保安管理と安全性の確保とを考慮して本ルートを選定した。

右パイプラインルートの概要は次のとおりである。

(別添図面二参照)

(1)  起点 成田市土屋(相手方専用資材取卸場)

(2)  終点 新空港内(給油センター)

(3)  延長 約七・八キロメートル

(4)  施設 外径約三三五・六ミリメートル鋼管一条敷設

3 施設の設置位置及び設置基準

(1)  設置位置

土屋施設(圧送施設)成田市土屋

パイプライン 成田市土屋-寺台-山の作-吉倉-空港

空港内施設(受入施設)成田市三里塚

(2)  設置基準

消防法に基づき設置する。

4 パイプラインの構造

圧力配管用炭素鋼鋼管二種(J1S、G三四五四、STPG三八)及びAPI、五LX-X四二による継目鋼管を使用する。

5 埋設方法

河川、道路を横断する箇所においては、主に推進工法により鞘管(管径八〇〇ミリメートル及び一、八〇〇ミリメートル)を設置し、この内に送油管を敷設する。その他の箇所では、場所に応じ地下一・二メートル以上、一・五メートル以上または一・八メートル以上に埋設する。

(2)  薬注工事の概要等

1  薬注工事概要

暫定パイプライン新設部約二・九キロメートルのうちには、国道、県道、市道、河川等に交差する箇所があり、これら交差部のうち重要な箇所六箇所については、推進工法(道路、河川等を横断して埋設物を設置しようとする場合、その両側に鋼矢板等により竪坑を掘削し、一方の竪坑内から他方の竪坑に向けて目的物を押し込む方法)を採用した。

この工法を施行するにあたり、土質調査の結果及びその他の諸事情を考慮し、地盤の強化安定、止水等のため、いわゆる薬注工法を採用し(各地点ごとの薬注工法採用の事情その内容等については後記のとおりである。)、昭和四九年一月中旬から同年四月下旬までの間これを実施した。

注入された薬液の種類の数量は、推進箇所の状況及び目的によつて異るが、総量は水ガラス系一、五七八、八八〇リツトル、尿素系一、〇九〇、六三〇リツトルである。

2  各地点における薬注工法採用の事情等

(1)  根木名川横断部(別紙図面二添付図面<1>(以下単に添付図面という))

この地点の地盤は、非常に軟弱な粘性土で、その下方に砂層が存在している。このような箇所に安全かつ確実にパイプラインを設置するには、泥水加圧機械による推進工法が最良と判断された。

この工法を用いた場合には、堅坑の掘削、掘進機械の竪坑からの発進及び反対側竪坑到達時にそれぞれ土砂の崩壊を招くおそれがあるため、あらかじめ止水及び地盤を強化する必要があり、諸種の条件を考慮して薬注工法を最も適切な工法として採用した。薬液は、当該地盤に最適なものとして水ガラス系及び尿素系を使用した。

(2)  国道五一号横断部(別紙添付図面<2>参照)

この地点の土質は、前記(1)根木名川横断部の土質にほぼ類似しており、かつ、主要道路を横断することになるため、工事中に道路の沈下、陥没等を生じ、交通の危険を招くおそれがあること等の事情を考慮し、前同様の推進工法を採用し、薬液は水ガラス系及び尿素系を使用した。

(3)  国道二九五号横断部(別紙添付図面<3>参照)

この場所も軟弱な地盤(到達竪坑側は細砂か固結した状態)で、かつ前記(2)と同様主要道路を横断するので推進工法を採用し、薬液は水ガラス系及び尿素系を採用した。

(4)  県道成田小見川鹿島港線横断部(別紙添付図面<4>参照)

前記(2)(3)同様に主要な道路を横断するので推進工法を採用した。この推進部の土層は粘性土でその層も厚く、沈下や湧水に対しては特に問題はなかつたが、発進竪坑背面(ジヤツキの反力が伝わる地盤)が軟弱なため、この部分の地盤改良が必要となり、水ガラス系を使用した。

(5)  資材輸送道路横断部(別紙添付図面<5>参照)

資材輸送道路であるので、前同様の理由で推進工法を採用した。この附近の地盤は、軟弱な腐蝕土層で、多量の水分を含み、そのまま掘削すると急速に脱水し、地盤が急激に沈下し、ひいては道路の沈下、陥没等を招来するおそれがあつた。そこで、鞘管内部への多量の湧水を防ぎ、地盤の沈下を極力おさえるため、薬注工法を採用し、薬液は水ガラス系を使用した。

(6)  東関東自動車道横断部(別紙添付図面<6>参照)

薬注工法採用の事情は、前記とほぼ同様であるが、粘性土及びその土層中に一部砂層が介在しているため、薬液は二種類の水ガラス系を使用した。

3 薬注工法の内容

薬注工法は、一般に地盤中に薬液をポンプ等で圧入し、地盤内で固結させて止水及び地盤強化を行う工法である。 右薬液は、地盤中に注入されるまでは液体であつて、地盤中の所定の箇所においてゲル化することが必要である。そこで薬液をA、B両液に分け、両液が混合されたときから所定の時間経過後ゲル化する方法を採用している。薬液が混合されてからゲル化するまでの時間(ゲルタイム)は、工事目的や各種の条件により、数十秒から数十分程度に調整される。本件工事では、ゲルタイムが一ないし五分程度のものが要求されたため、A、B両液を別々のポンプによつて分けて圧送し、両液が合流するY字管から注入管先端に至るまでの間に薬液が混合するような方法を採用した。

注入された薬液は地下水と接触することもあるが、地下水は多くの場合微少な土砂の粒子間の間隙に存在し、殆んど移動しないものであり、河川の流れや井戸の中の水のように水塊として存在するものではない。このような土中に薬液を注入すれば、その速度が極めて早いから、河川や井戸の中へ直接薬液を投入した場合のように大量の水によつて稀釈されることはなく、従つて、薬液のゲル化が妨げられない。

相手方は、本件薬注工事にあたり、薬液が無反応のまま土中に浸透しよいよう十分な安全牲を確保するため、次の事項に留意して施工した。

(1)  計量及び混合

薬液の計量は、目盛付タンク、メスシリンダー等を用いて正確に行い、十分にかくはんして確実な溶解混合が行われるようにした。

(2)  ゲルタイムのチエツク

薬注の目的に応じてゲルタイム及び薬液の配合を決定し、右決定が正しいかどうか随時ゲルタイムのチエツクを行つた。

(3)  薬液の注入

混合された薬液は、ボーリング用機械を使用して土中に注入した。

4 薬液の種類及びんの使用量

各地点における薬注工法で使用した薬液の種類及び使用量は次のとおりである。

使用

水ガラス系

尿素系

箇所

LW

ケミ3号

スミロツク

ユリロツク

(単位リツトル)

根木名川

六〇〇、四〇〇

一二三、〇〇〇

七二三、四〇〇

国道五一号

一七二、〇〇〇

六〇〇、〇〇〇

七七二、〇〇〇

国道二九五号

一五三、七八〇

三六七、六三〇

五二一、四一〇

県道成田小見川鹿島港線

三三、五〇〇

三三、五〇〇

資材輸送道路

五五、四〇〇

五五、四〇〇

東関東自動車道

一五三、七〇〇

四一〇、一〇〇

五六三、八〇〇

一、一六八、七八〇

四一〇、一〇〇

三六七、六三〇

七二三、〇〇〇

二、六六九、五一〇

合計

一、五七八、八八〇

一、〇九〇、六三〇

(注入状況は、別紙添付図面<1>ないし<6>参照)

5 以上のところから明らかなように、相手方が本件工事に用いた薬注工法は、極めて安全なものであつて、抗告人らの主張するように、ホルムアルデヒド等が反応しないままに地下水に浸透し、人体に有害な汚染を与えたような事情は全くない。

抗告人らが本件において特にその危険性を主張している尿素樹脂初期縮合物である主剤は、助剤及び硝酸等を含む液と混合された後、土中粒子間に浸透して固結する。この際、主剤中に含まれる微量のホルムアルデヒドは、その殆んどが助剤との付加縮合反応により、メチロール化合物→メチレン化合物→メチレン化合物の縮合物に変化して無害化される。

この凝固物は土中において分解することは考えられないので、抗告人らの経年変化によつて右凝固物が溶解する可能性があるとの主張は杷憂である。

なお、助剤の尿素は、一般に肥料及び飼料添加物等に使用されており、無害性については周知の事実である。

(三) 地下水の汚染は生じない

本件薬注工法においては、前記のように、主剤、助剤等が完全に混合され、ゲル化しつつある状態で土中に挿入した注入管の先端より土中に注入されて凝固するものであつて、右ゲル化の過程において地下水に浸透することはあり得ないし、また凝固した物質が地下水により溶解することもないから地下水の汚染は考えられない。

薬注工法が採用された時期は、昭和三〇年ころの水ガラス系から始まり、次いでアクリル系(昭和三六年ころ)及び尿素系(昭和三八年ころ)が採用されるようになつた。そして、我国の過去三年間におけるその注入量はおおよそ次のとおりである。

薬剤名

概数量(推定)単位リツトル

昭和四五年度

昭和四六年度

昭和四七年度

アクリルアマイド系

四〇、〇〇〇、〇〇〇

四五、〇〇〇、〇〇〇

六〇、〇〇〇、〇〇〇

尿素系

六〇、〇〇〇、〇〇〇

八〇、〇〇〇、〇〇〇

一五〇、〇〇〇、〇〇〇

硫酸ソーダ系(水ガラス系)

一七〇、〇〇〇、〇〇〇

二〇〇、〇〇〇、〇〇〇

二七〇、〇〇〇、〇〇〇

抗告人らは、土壌凝固剤はつねに地下水流にさらされた形で使用されると主張する(抗告人らのいう地下水流とはいかなる現象を指すのか不明である。)が、本件薬注工事が行われた場所には、水流といわれるほどのものは全く存在しない。そして、右場所において土壌中に含まれる水が移動するのは、たかだか一分間に数ミリ程度であり、いわば静止しているのと同様であつて、このような土壌中に前記の工法で薬液を注入しても、これが流出することはあり得ない。

したがつて、地下水に危険な成分が放出されることはなく、地下水の汚染も生じない。

もつとも、抗告人らも指摘するように、福岡県粕屋郡新宮町、広島県三次市、東東都江戸川区松島三丁目において事故を発生したことはあるが、これらはいずれも施工方法の誤りによる稀有の事故である。すなわち、福岡県粕屋郡新宮町における事故の場合は、注入箇所の至近距離(約一・七メートル)に井戸があつたため、薬液が直接井戸に流入したものであり、注入箇所から一二ないし一四メートル離れた井戸水には何らの異常も認められていない。また広島県三次市における事故の場合には、施工箇所が極めて透水性のよい砂礫層であつたため、一部未反応の薬液が砂礫層を透過して近隣の井戸に流入したものと考えられており、本件施工場所の土.質とは全く条件の異る地盤に施工されたものである。さらに、東京都江戸川区の下水道工事の場合は、薬液がそのまま現場に隣接する園芸場に直接流出し、地表で固まつたため植物に被害を及ぼすに至つたものである。

(四) 水質検査の結果について

千葉県及び成田市は、前記建設事務次官の昭和四九年五月二日付「薬液注入工法の施工について」の通知を受け、本件薬注工事施工箇所付近の井戸水について、その水質等の検査を実施した。そして、そのいずれの検査の結果によつても、右井戸水からは抗告人らが主張するようなホルムアルデヒド等は検出されなかつたのであつて、本件薬注箇所付近の井戸水全部について、飲料水として適当であるとの結論が出された。

千葉県においては、その後も薬注箇所周辺の井戸について、定期的に六回にわたつて水質検査を行い、また成田市においても同様に一〇回にわたつて水質検査を行つたが、薬注工事終了後一年以上も経過した昭和五〇年五月六日現在、右井戸水のいずれからも一度もホルムアルデヒドが検出されたことがなく、相手方も本件薬注工事箇所付近の井戸について、半月ごとに一回の合計二一回にわたり専門家による水質検査を実施してきたが、同年五月一三日現在ホルムアルデヒドが検出されたことはない。

特に相手方は根木名川横断部の推進工事を行うにあたつて、発進、中間、到達の各竪坑から約一〇メートルないし二五メートルの至近距離に観測井一二本を掘削(昭和四九年一〇月二日完成)し、既設の成田市の井戸二本と合わせて計一四本の観測井について水質検査を行うこととした。

右水質検査は、推進工事中は殆ど連日、同工事前後は反覆継続し、昭和五〇年五月一三日に至るまで、千葉県及び成田市の検査を含めて一〇七回行つているがホルムアルデヒドは検出されていない。

したがつて、仮りに抗告人ら主張のように地下水がホルムアルデヒドによつて汚染されるとするならば、右の竪坑から至近距離にある各観測井の水質がまず汚染されるはずであるのに、右水質検査の結果、ホルムアルデヒドが検出されなかつたことは、抗告人らの主張が杞憂に過ぎないことを示すものというべきであり、本件薬注工法が附近住民に有害な結果をもたらすおそれのないことが明白である。

(五) 被害発生の蓋然性はない。

土壌凝囲剤は、前記のように、ホルムアルデヒドを含む主剤(尿素樹脂初期縮合物)と助剤及び硬化剤とを混合して使用するものであつて、尿素樹脂初期縮合物は硬化剤と遭遇することによつてゲル化し土中の粒子間に浸透して凝固物となり、右凝固物中に含まれるホルムアルデヒドは地下水と接触しても再溶出することはないのである。

仮りに土壌凝固剤からホルムアルデヒドが溶出することがあるとしても、土壌凝固剤の右のような性質からみて、一旦ゲル化した土壌凝固剤から溶出するホルムアルデヒドの量は土中では微量に止まり、多量に溶出することはないものと推認される。

成田市水道水源は、薬注箇所から約一、〇〇〇メートルの距離にあり、かつ井戸の深きは約一〇〇メートルに達していてもつぱら深層地下水を汲み上げているものである。そしてこの地域の深層地下水は数十年以上の古い年令を有する地下水と推定されており、本件薬注工事現場の地下水流とは水脈を異にするとも考えられるのであつて、本件薬注工事現場附近の浅層地下水すらホルムアルデヒドによつて汚染された事実がないことが明らかな本件においては、成田市水道水源の水質がホルムアルデヒドによつて汚染されることは到底考えられないところである。

したがつて、本件において相手方のなした薬注工事により、凝固物を土中に残置することによつて、抗告人らに対し健康被害を発生させる蓋然性は、将来においても、全くないものというべきである。

(六) 仮処分の必要性がない。

抗告人らの本件仮処分申請は、いわゆる仮の地位を定める仮処分であつて、抗告人らの主張によれば、紛争の本案判決確定までに、抗告人らの生命身体に生ずる回復し難い損害を避けるため、その発生をすみやかに防止する暫定的な地位を定めることを目的とするものである。しかし、本件暫定パイプラインの埋設工事のうち薬注工事そのものは昭和四九年四月二七日をもつてすべて終了し、今後これを施工することのないことは勿論、根木名川横断部推進工事も終了し、昭和五〇年四月一五日竪坑の埋め戻を最後として本件暫定パイプラインの埋設工事もすべて完了した。そして、この工事期間中もその後においても、薬注工事の凝固物による附近の井戸、水道水源の汚染は全く発生しておらず、附近住民に薬注工事に起因する何らの健康障害をも生じていない。しかも、抗告人らのうち、現在井戸水を利用している者は二世帯に過ぎず、他はすべて成田市営水道を使用しており、右二世帯も希望すれば直ちに水道を引水できる状況であるのに拘らず、これを利用していないものである。

したがつて、抗告人らの本件仮処分申請は、被保全権利も仮処分の必要性もないものであるから、右申請を却下した原決定は正当であり、本件抗告は失当である。

(疎明方法)<省略>

理由

一、抗告人久蔵はん、同稲吉愛、同稲吉かつ、同稲吉英雄、同稲吉あや子、同植草恵子、同真野タマヨ、同朝野健児、同京須利依子の本件抗告について

抗告は、原裁判所が第一審としてなした決定及びA叩令に対する独立の不服申立方法であるから、抗告の申立をなし得る者は原裁判により法律上の不利益を受ける者に限られるべきところ、右抗告人らはいずれも本件第一審の裁判である仮処分申請事件の当事者ではなく、したがつて原裁判によつて何ら法律上の不利益を受ける者に該らないから、右抗告人らのした本件各抗告は、いずれも不適法として却下を免れない。

二  当審における抗告人早野久雄本人尋問の結果と弁論の全趣旨によれば、抗告人久蔵はんら前記九名を除くその余の抗告人ら(以下単に抗告人らという。)が、それぞれ千葉県成田市内に居住して生活を営む者であることが一応認められ、相手方が新東京国際空港の設置及び管理等を目的とする法人であることは当事者の間に争いがない。

三  相手方が、昭和四八年一〇月から、成田市土屋のジエツト燃料基地から新東京国際空港航空機給油施設までの間の暫定パイプラインの埋設工事に着手したこと、右工事に際し、<1>根木名川、<2>国道五一号線、<3>同二九五号線、<4>県道小見川線、<5>公団資材輸送道路、<6>東関東自動車道を横断してパイプラインを埋設させるため推進工法を施工したこと、右埋設地点を含む地帯の地盤が軟弱のため、別紙図面一の(一)記載の各箇所に尿素系及び水ガラス系の土壌凝固剤を注入したこと、以上の事実は、いずれも当事者の間に争いがない。

<証拠省略>ならびに前記争いのない事実に弁論の全趣旨を総合すれば、次の各事実を一応認めることができる。すなわち、

(一)  相手方は、新東京国際空港に発着する航空機に対する航空燃料の円滑な供給を図るため、昭和四六年一二月以降、千葉市所在の千葉港から成田市三里塚所在の右新空港に至るまでの延長約四四キロメートルにわたり、航空燃料輸送用パイプラインの建設に着手したが、右パイプラインの完成には長期間を要することが予想されるに至つたため、右パイプラインに代わる暫定輸送対策として、成田市土屋から同市吉倉までの間約二・九キロメートルに新たに暫定パイプラインを埋設し、成田市吉倉から空港までの約四・九キロメートルの間の既埋設パイプラインに接続させ、この総延長約七・八キロメートルを暫定パイプラインとして、鹿島地区及び京葉地区から鉄道によつて成田市土屋まで輸送された航空燃料を圧送することを計画し、昭和四八年一〇月ころから右パイプライン埋設工事に着手し、同五〇年四月一五日に全工事を完了した。

(二)  相手方は、右着工にあたり、パイプライン埋設予定地区である成田市寺台、山の作付近については、できる限り道路等の公共用地を利用することにし、具体的埋設ルート決定に当つては土質検査等の結果をも参酌し、またそれぞれの地盤、土質等に応じた工法を採用して行うことにした。

(三)  相手方の敷設したパイプラインエ事の概要は、成田市土屋を起点として同市寺台、山の作、吉倉を経て空港に至る延長約七・八キロメートルに、外径三五五・六ミリメートル鋼管一条を使用して送油管とするパイプラインルートを地下に敷設するもので、河川、道路を横断する箇所では主に推進工法により鞘管(管経八〇〇ミリメートルおよび一、八〇〇ミリメートル)を設置し、この内部に送油管を敷設し、その他の場所では、場所に応じて地下一・二メートル以上、一・五メートル以上又は一・八メートル以上にそれぞれ埋設した(別紙図面二記載のとおり)

(四)  右工事箇所中<1>根木名川横断部、<2>国道五一号線横断部、<3>国道二九五号線横断部、<4>県道成田小見川鹿島港線横断部、<5>資材輸送道路横断部、<6>東関東自動車道横断部は、いずれも国道等の主要道路又は河川等に交差する重要な箇所であるので、推進工法によつて作業をすすめることとし、工事中の道路の沈下、陥没等の危険をあらかじめ防止する目的で、土質調査の結果等をも考慮して地盤の強化安定、止水等をはかるために、地中に土壌凝固剤を注入する薬液注入工法(以下薬注工法という。)を採用し、昭和四九年一月中旬から同年四月下旬までの間、薬注工法の一般的な施工基準に則り、相手方主張のような方法で次のように、総量水ガラス系一、五七八、八八〇リツトル、尿素系一、〇九〇、六三〇リツトルの土壌凝固剤を使用した。

1  根木名川横断部(別紙添付図面<1>)

軟弱な粘性土で下方に砂層が存在するので、泥水加圧機械による推進工法を行い、深度一六メートルまでの土中に、水ガラス系LW六〇〇、四〇〇リツトル、尿素系ユリロツク一二三、〇〇〇リツトルを注入

2  国道五一号線横断部(別紙添付図面<2>)

1とほぼ類似の土質であるので同一の工法により、深度約一〇メートルまでの土中に水ガラス系LW一七二、〇〇〇リツトル、尿素系ユリロツク六〇〇、〇〇〇リツトルを注入

3  国道二九五号線横断部(別紙添付図面<3>)

土質は砂質状シルト質状(細砂固結状態)で地盤も軟弱であるため、手掘りによる推進工法を行い、深度約七メートルまでの土中に水ガラス系LW一五三、七八〇リツトル、尿素系スミロツク三六七、六三〇リツトルを注入

4  県道成田小見川鹿島港線横断部(別紙添付図面<4>)

土質は粘性土で層も厚く沈下や湧水の問題は生じなかつたが、発進竪抗背面が軟弱のため、前同様の工法により、深度約六・八メートルまでの土中に、水ガラス系LW三三、五〇〇リツトルを注入

5  資材輸送道路横断部(別紙添付図面<5>)

軟弱な腐蝕土層で、掘削による地盤沈下が考えられたので、前同様の工法により、深度九メートルの土中まで、水ガラス系LW五五、四〇〇リツトルを注入

6  東関東自動車道横断部(別紙添付図面<6>)

土質は粘性土で、その土層中に一部砂層が介在しているため、前同様の工法により、深度約五・七メートルまでの土中に、水ガラス系LW一五三、七〇〇リツトル、ケミ3号四一〇、一〇〇リツトルを注入

(五)  成田市営上水道は、第一ないし第三及び第五水源の深度八〇ないし一〇〇メートルの地下水をポンプによつて汲上げ上水道用水としており、右各水源と、相手方の行つた薬注工法施工箇所との距離は、もつとも近い第一水源で約九五〇メートル、もつとも遠い第三水源で約一、三〇〇メートルである。

以上の各事実を一応認められ、この認定を左右するに足りる疎明はない。もつとも、<証拠省略>には別紙添付図面<5><6>地点からも尿素系土壌凝固剤の成分であるホルムアルデヒドが検出されたことを示す検査結果の記載があるが、これのみをもつてしては上記認定を覆えすに足る資料とはなし難い。

四  抗告人らは、相手方の暫定パイプライン埋設工事の際に使用した各土壌凝固剤の成分が、抗告人らが飲料水として利用する地下水に混入してこれを汚染し、抗告人らの健康に有害である旨主張する。

(一)  <証拠省略>当審における抗告人早野久雄本人尋問の結果を総合すれば、抗告人らを含む成田市庄民は、その生活に要する水を成田市営上水道または自家用井戸からの揚水に依存しているが、飲料用水は、現在殆どが右市営上水道を用い、抗告人らのうち抗告人小川純子、同小川ルリ、同小川ルミ子の三名のみが自家用井戸によつているほかは、すべて右市営上水道を利用し、従来からの自家用井戸水は飲料以外の用途に充てていること、右自家用井戸は、深度二ないし一〇〇メートルで浅層地下水、深層上部帯水層地下水又は深層下部帯水層地下水を揚水、噴出等の方法で得ており、右自家用井戸および成田市営上水道の水源となる地下水は、同地域においては海水面上に位置する浅層地下水及び海水面下一五ないし一〇〇メートルに位置する深層地下水として存在し、右各地下水の一日間の移動速度は、浅層地下水で一ないし二メートル、深層地下水ではその上部が〇・二ないし〇・一メートル、下部が〇・一ないし〇・〇五メートルであること、同地域は、砂礫層ばかりでなく、不透水性ないし難透水性の砂質粘土層や粘土層もあるが、これらの層は、その上下の砂礫層に比してうすく、連結性にも乏しいため浅層地下水から深層地下水への吸引が存在すること、以上の事実が一応認められ、この認定を左右するに足りる疎明資料はない。

(二)  相手方が、本件暫定パイプライン埋設工事にあたり、六箇所にわたつて土壌凝固剤を使用して薬注工法を施したことは前認定のとおりであり、<証拠省略>に、弁論の全趣旨を総合すれば、

1  薬注工法は、一般に目的地盤中に薬液をポンプ等で圧力注入して地盤内で固結させ、止水、地盤強化を行う工法であり、土壌中に含まれる水分を凝固剤で置換することにより、土壌の性質を変更させるために行われるものであるから、この施工の対象となる土地は、当然水分の多い地盤ということになるが、その工法は、液体の薬剤を目的地盤中の所定の箇所でゲル化させるため、予じめ主剤と助剤の二つに分けられた薬液を別々のポンプ等により同一地盤に注入し、この両液が混合されたときから所定時間経過後にゲル化するように調整して行われるもので、相手方の本件パイプライン埋設工事における推進工法に際しても右と同様の方法が採用された。

2  相手方の薬注工法施行中である昭和四九年二月中に、前記根木名川横断部の発進竪坑から出水する事故があり、また、同年四月には前記国道二九五号線横断部到達竪抗から出水し、右各工事施工地域に近接した井戸水が枯れるという事態が生じ、右井戸の水枯れが相手方のした右推進工事に起因するものと考えられ、相手方は一時右各地区の工事を中止した。

以上の事実が一応認められ、右認定を左右させるに足りる疎明資料はない。

(三)  してみれば、抗告人らを含む成田市住民が利用する成田市営上水道及び自家用井戸の各水源地域における地下水の状況からみて、相手方の推進工法の施工に際して用いられた土壌凝固剤が、その程度、態様は明らかでないとしても、右地下水になんらかの形で接触しているものと推認することができ、この結果、右凝固剤が地下水に溶出することも当然考えられるところであるから、凝固剤の性質によつては地下水源を汚染し、これを生活の用に供する住民の健康に悪影響を及ぼす結果を招くことも、当然予測されるところというべきである。

(四)  そこで、相手方が右工事に際して使用した各薬剤について検討することとする。

1  尿素系凝固剤について

<証拠省略>と、弁論の全趣旨とを総合すれば、次の各事実が一応認められる。すなわち、

(1) 尿素系土壌凝固剤であるユリロツク及びスミロツクは、いずれも主剤として尿素ホルムアルデヒド初期縮合物(ユリロツクは助剤として尿素を使用する。)及び硬化剤として工業用薄硫酸を使用し、主剤中のホルムアルデヒドの濃度は、ユリロツクが四パーセント、スミロツクが〇・三ないし〇五・パーセントであつて、主剤、助剤が硬化剤と遭遇するとホルムアルデヒドの濃度は低くなり、ユリロツクで〇・三パーセント、スミロツクで〇・〇七ないし〇.一二パーセントとなり、ホルムアルデヒドと尿素との初期縮合物は硬化剤と反応して最終的にはゲル状態となる。

(2) ホルムアルデヒドは、硬化剤と反応してゲル化した後は一般的には水溶性をもたないが、微少量が常温の水或いは流水等に接触して再溶出することも考えられるため、建設省は、昭和四九年七月一〇日建設事務次官通知をもつて、管下土木工事所管機関及び政府関係機関に対し、薬注工法による人の健康被害、地下水の汚染等を防止する見地から、その一時中止を命ずるとともに、同工法のより慎重な施行を図るための暫定指針を発して安全性の確保を指示した。

(3) ホルムアルデヒドの人体に対する影響については、土壌凝固剤がゲル化前に地下水に直接混入し、これを飲用した人が平衡感覚を失う症状を呈した等の事例が発生したほか、マウスを利用したホルムアルデヒドの慢性中毒実験の結果長期間ホルムアルデヒドを含有した飲料水を供与すると眼の網膜上に損傷があらわれたものがあることなどから、体内に蓄積される可能性が全くないとはいえないという学説が発表されているが、他方ホルムアルドヒドの人体内蓄積を否定する説もあり、結局ホルムアルデヒドが人体内に蓄積されるかどうか、またこれにより慢性中毒として人体にいかなる影響を与えるか、などについては学界においても確立した定説がなく、近時研究が進められている段階である。

(4) 飲料水に含まれるホルムアルデヒドの許容量については、昭和四九年七月一〇日付厚生省環境衛生局水道環境部長通達により、ホルムアルデヒドに関する飲料水の判定基準について、生活環境審議会水道部会水質専門委員の意見を基として、安全性が確保される飲料水中の濃度の限界を、日本薬学会協定衛生試験法に定めるアセチルアセトン法による定量分析で測定可能な〇・五PPMを判定の基準とし、それ以下の含有は「検出されない」ものとする、として政府の見解を定めたが、学説中には、集団検診で発見された視野狭窄児童の使用した食器とそのホルムアルデヒドの溶出量から検討して、患者の一日の最少量は〇・四二ないし〇・六ミリグラムであると判断したうえ一日二リツトルの飲料水を必要とすれば〇・二一ないし〇・三PPMがホルムアルデヒドによる慢性中毒の濃度であるとする学説や、ソビエトの学者のように動物実験の結果からみて一般人の許容量は〇・〇九PPMが相当であるという説、或いは一〇〇分の一〇の安全度をみると安全基準は〇・〇〇二一ないし〇・〇〇三PPMであるとする説がある反面、一五PPMないし三〇PPMが許容量であるとする学説もあり、飲料水中に含まれるホルムアルデヒドの許容量についての定説はない。

以上の各事実が一応認められ、上記認定を覆えすに足りる疎明資料はない。

右認定事実によれば、土壌凝固剤中に含まれるホルムアルデヒドは、その人体への悪影響ないしは人の健康に対して及ぼす毒性が全くないものということはできないが、また、人体に直接有害なものとしてその使用を全く否定することもできないものといわざるを得ず、したがつて、本件においては、相手方の行つた薬注工法により、抗告人らを含む成田市民が利用する地下水中にどの程度のホルムアルデヒドが再溶出したかが考慮されなければならないところ、<証拠省略>によれば、相手方の本件薬注工法施工後昭和五二年一月一〇日までの間、千葉県及び成田市においてそれぞれ数回または数十回にわたり右工法施工地区周辺の井戸、水道水源等について水質検査を行い、相手方も申立外日本検査株式会社に委託して右同様の水質検査を行い或いは根木名川横断部等の合計一四箇所に観測井を設置して地下水の水質検査を定期的に反覆して継続してきたが、いずれの場合においてもホルムアルデヒドが検出されないこと或いは不検出であるとの検査結果が報告され、結局アセチルアセトン法による定量分析の測定可能限界値である〇・五PPM以上のホルムアルデヒドの溶出が無かつたことが一応認められ、他方、相手方の本件薬注工法施工後抗告人らを含む成田市住民の間に、ホルムアルデヒドによる健康被害が現実に発生したことを認めさせるに足りる疎明はない。

してみれば、相手方が本件薬注工法にあたつて使用した尿素系土壌凝固剤中に含まれる微量のホルムアルデヒドが地下水中に再溶出したことは否定し得ないにしても、その量は、政府の定めた許容量である〇・五PPMを下まわるものであるばかりでなく、右薬液が成田市の地下水源を汚染し、この結果抗告人らを含む成田市住民の建康に有害な結果を齎らしまたはこれを齎らす蓋然性があるものということはできないものというほかはない。

もつとも、<証拠省略>によれば、広島県三次市、福岡県粕谷郡新宮町、東京都江戸川区において行われた薬注工事により、地下水を汚染し、その結果これを飲用した住民の健康に被害を及ぼす等の事故の発生した事実(この事実は当事者間に争いがない。)が一応認められるものの、右事故は、いずれも薬注工法の施工上の誤りによるものであつて、土壌凝固剤の再溶出によるものではないことが右疎明方法によつて明らかであるから、本件工事に施工上の誤りがあつたことについては何らの疎明もない本件にこれをあてはめて直ちに尿素系凝固剤を有害とすることは適切でなく、また、<証拠省略>によれば、根木名川横断部立坑内及び国道二九五号線横断部立坑内地下水等に一三・六PPM、一五・〇PPM、二〇・〇PPMなどのホルムアルデヒドが含有されていた旨の水質検査結果が報告されているが、これらはいずれも一時的なものであることが前示各疎明と照らして明らかであり、これらによつて前記判断を左右するものとはなし難い。

2  水ガラス系凝固剤について

<証拠省略>に、弁論の全趣旨を総合すれば、次の事実が一応認められる。すなわち、

(1) 水ガラス系凝固剤であるケミ三号、LWI1、LWI2は、いずれも主剤としてけい酸ソーダ(ケミ三号は助剤として炭酸水素カリウムを使用する。)、硬化剤としてケミ三号はエチレンカーポート、LWはそれぞれ普通ポルトランドセメントを使用するが、けい酸ソーダ中にけい酸より強いあらゆる酸を添加するとけい酸が遊離してゲル状に変化するものである。

(2) けい酸は、不溶性けい酸または溶解性けい酸として水中に存在し、特に地下水に多く、地表では河川となつて流下するに従つて減少する。

(3) 成田市において、本件薬注工法施行後にした地下水源、井戸水等の水質検査の結果によれば、工法施工地区の地下水の水素イオン濃度はP(一)八・四〇という高い数値を示し、これは水道法四条一項に基づく水質基準に関する厚生省令による規制値であるP(一)六・五以上八・五以下の上限に近い数値であるが、右工法施工前に行われていた水質検査の際にも同様の高い数値を示していたものであつて、また、けい酸が三五・〇PPMを越える井戸もあるが、これも右水素イオン濃度におけると同様に過去においても同数値に近い数値を示していたものである。

以上の各事実が一応認められ、この認定を左右するに足りる疎明資料はない。

してみれば、相手方のした薬注工法による水ガラス系凝固剤の使用によつて、附近一帯の地下水を汚染し、またはこれを汚染する蓋然性があるものとは認められない。

(五)  以上のとおりであつて、本件にあらわれたすべての資料を検討してみても、相手方が使用した土壌凝固剤により、成田市の市営水道用地下水源或いは抗告人ら所有の自家用井戸水を汚染し、ひいてはこれを利用する抗告人らを含む成田市住民の健康に有害な影響を与えるおそれがあるという事実が疎明されたものということはできない。

五  抗告人らの本件仮処分申請は、いわゆる人格権を被保全権利とし、相手方のした薬注工法による地下水の汚染により、自己の健康に有害な影響を受け、その侵害を蒙るおそれがあるものとして薬注箇所の土壌の撤去を求めるものであるから、申立が認容されるためには、右工法により使用した薬液によつて、地下水が汚染されまたは将来汚染される可能性が存在することと共に、抗告人らの健康に有害であるかまたは将来健康被害を生じ得る相当程度の蓋然性のあることが疎明されなければならないものというべきところ、前認定事実に照らせば、そのいずれについてもこれを首肯させるに足りる疎明があつたものということはできないから、結局抗告人らの本件申請は、被保全権利の疎明がないものというほかはない。もつとも、相手方の使用した薬液中、尿素系凝固剤については、その成分であるホルムアルデヒドの再溶出が全く否定し得ないものであることは前認定のとおりであつて、抗告人らが被害の可能性に強い不安の念を懐いていることは抗告人早川久雄本人の供述により疎明されるところであるが、成田市及び相手方が定期的に継続施行している水質検査の結果によつても一応の許容量と考えられている〇・五PPM以上のホルムアルデヒドは検出されておらず、右水質検査を継続することにより地下水源等に異常が発見されれば、直ちに成田市において適切な処置を講じ、地下水の汚染ひいては抗告人らの健康被害の発生の防止を図り得るものと認められ、施工後三年余を経過しても抗告人らに健康上有害な影響を及ぼしたものと認められる疎明も存しない等の諸事情を考慮すれば、ホルムアルデヒドの再溶出の可能性があるとの一事のみをもつて、直ちに被害発生の蓋然性があるものとはいえないから、これによつて前記判断を左右するものとはなし難い。

六  してみれば、抗告人らの本件仮処分申請は、被保全権利の存在についての疎明がないことに帰し、事案の性質上保証をもつてこれに代用することも相当でないから、その余の点について判断するまでもなく失当として却下すべきであり、これと同趣旨の原決定は相当であつて、本件各抗告は理由がない。

七  よつて、抗告人久蔵はん、同稲吉愛、同稲吉かつ、同稲吉英雄、同稲告あや子、同植草恵子、同、同真野タマヨ、同朝野健児、同京須利依子の本件各抗告を却下し、その余の抗告人らの本件各抗告はこれを棄却し、抗告費用は抗告人らに負担させることとし、主文のとおり判決する。

(裁判官 江尻美雄一 滝田薫 桜井敏雄)

別紙<省略>

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